Googleアナリティクスを見ていると、以前は、google、または、yahoo検索でサイトに入ってくる人がほとんどだった。Bingの利用者は数えるほど。0という日も多かった。しかし、10月あたりから、突然、Bing利用者が増えだした。今ではgoogle+Yahoo利用者の十分の一以上になっている。十倍以上の増加だ。Googleがまた何かいじったのかもしれない。私同様、googleの検索結果表示に不満を持つ人が増えているように見える。半々くらいまで行ってくれないかなと思う。Bingの方が我がサイトを優遇してくれているのである。アナリティクス、ブログ、日本語変換システムなど、無料グーグルにずいぶん依存しているのだけれど。
2020年12月9日水曜日
2020年11月28日土曜日
容疑者 浮上
2020年11月18日水曜日
児童公園の雑草、薄れつつ
人の活動が盛んになるにつれ肺炎感染者も急増しだした。悩ましい問題である。屈強なスポーツ選手でも感染するくらいなのに、こちらには用心するしか対策がなさそうだ。心理的なレベルで実効性なんかありはしない。安倍マスクは一度使っただけでどこかへ姿を消してしまった。もう一つ残っているから使うか。多少の有効性はありそうに思える。これも心理的なレベルにすぎないかな?
2020年11月15日日曜日
マウス交代
2020年11月13日金曜日
自転車ギアーの摩耗
パンクの修理ついでに自転車屋で聞いたら、同じギアーばかり使っているからだと言う。そうは言われても、坂道を登る時以外に細かいギアー操作は必要ないから。
車を避けるためにダッシュと思っても、空回りしたら危険である。第五速のギアーを使うことにした。これも十年くらい保つだろう。それくらい使えたら、買い替えを惜しむこともあるまい。
2020年10月24日土曜日
漢字の起源(白川静氏を買わない理由)に「去」を追加
「字統」の文字解説にある白川静氏の祭祀に関する記述には、今更ながらだが、あきれかえる。文字解説のために自らに都合のいい祭祀を作り出すのだ。史料、根拠は見当たらず、氏の妄想の中にしか存在しない。こんなものに、自分でよくOKを出せるなと思うが、ボケていたのかな?古田武彦氏と同系の人だ。
一時のブームも終わったので、これから徐々に淘汰されていく人ではあろうけど。
2020年10月11日日曜日
魏臺で行われた論議を翻訳してレポートに追加
通典巻八十三・礼四十三・凶五にある魏臺(魏の朝廷)での論議を翻訳して「邪馬壱国説を支持する史料と解説」の最後に加えておいた。論議の発端は明帝の詔である。
「邪馬台(壱)国北九州説の研究」で、森浩一氏の「倭人伝を読み直す」を分析して書いている時、中国文献で使われている「死」と「以死」の例を調べ、「以死」は非業の死に使われるというレポートを出した人がいると知って、本当かどうか、三国志をあたったことがある。呉の孫権の死が「権以死」と書いてあって、別に非業の死ではないから、このレポートは間違っていると結論できた。その時、豪族たちの死が「薨」「卒」で表されていて、「死」という文字がほとんど無いと気づいた。
通典を翻訳したのは、礼制により、身分ごとに死の表現法が細かく定められていたのが良くわかるからである。敬意を持てない場合に「死」が使われるのかもしれない。こちらは日本の古代史解明のために中国文献を調べるという立場だから、そんなに細かいところまで立ち入る気にはならない。いや、もう十分細かいところまで立ち入っているか。こんなに深入りするとは思わなかった。
hyena-no-papa氏は「物故」の意味を尚書曹に説明する高堂隆の項しか紹介していないが、その場には明帝もいたのである。臺という文字を軽んじるわけにはいかないだろう。
魏臺訪議に関しては、これで終わりかなと思う。
2020年10月9日金曜日
邪馬壱国説を支持する史料と解説 に訂正文を付け加える
魏臺訪議に関する間違いを修正。訂正という形で、ブログ文に書いたことを「邪馬壱国説を支持する史料と解説」の最後に付け加えた。
結論は変わらないものの、信用して読んだ人は最後でどんでん返しを食らうわけだ。こちらの思考の經緯がよくわかるので、この形でも良いかなと思う。
2020年10月7日水曜日
魏臺訪議に決着。すっきりできた。
hyena-no-papa氏のブログで次の文を見つけた
尚書曹訪云:「官僚終卒、依礼各有制。至於其間、令長以下、通言物故、不知物故之名本所依出。」高堂崇曰:「聞之先師、物、無也。故、事也。言無復能於事者也。」(注:避諱で崇←隆)
質問したのは尚書曹であって皇帝ではない。
「魏臺訪議」という書物には、高堂隆の受けた質疑が収録されているが、皇帝の下問もあれば小役人から聞かれて答えたことも書いてある。
史記集解では「高堂隆答魏朝訪曰」となっており、魏臺=魏朝。
つまり「魏臺」は魏の公務全般を包含するのです。
確かに「通典 巻八十三 禮四十三」に書いてある。尚書曹の役人が「官僚が死んだときは卒で、礼によって決まっている。令長以下はみな物故というがその言葉の出所がわからない。」と訪ねている。
この主張は正しい。こちらは関連文書を修正せざるを得ない。よほど漢文データに詳しい人なんだろう。ちょっとマークしてみるか。
しかし、魏臺訪議とはっきり書いていて、魏の時代には「魏臺」という表現があったわけである。タイ音の文字は他にいくらでもあるのに、★「明帝を含む魏の朝廷を表す重要な文字を蛮夷の国名に使うか?」という疑問は全く解消されないのである。古田氏のような「至高の文字」なんていう大げさなもの言いには取り合わないけれども。例文では、当時の玄宗の諱をさけるため高堂隆を高堂崇に変えている。
魏志には邪馬壹国に加えて壹與が三回、計四文字の壹があって、「臺に詣る」と臺が書き分けられている。壹のすべてを書き間違えとすることができるのか? すべて元は臺だとしたら、他の文字はみんな見えているのに、飛び飛びにあるこの四文字の臺だけが都合よく見えにくくなって間違える確率はどれくらい?
帯方郡使、張政の帰国を送った壹與の遣使は魏の滅亡二年前、陳留王奐の景元四年(263)と考えられる。(「魏志倭人伝から見える日本3-h、壱与の即位と張政の帰国」参照) 陳留王は十七歳、帝としては機能していなかった。壹與の使者が「臺に詣った」ということは、陳留王を含むかどうかはわからないが、朝廷に至って面会していわけである。臺という文字を軽く見ることはできないだろう。
古田武彦氏やそれを支持した私の「魏臺は明帝」だという主張は否定されたのだが、★印を付けた根本的な部分で何も変わらない。「明帝」が「明帝を含む朝廷に変わった」だけである。
この文もコピーして「邪馬壹国の訛」の項の最後に貼り付けておいた。
サイトの関連文の書き直しが面倒だな~
2020年10月5日月曜日
邪馬壱国説に関して
魏志「邪馬壱国説」に関して、塚田敬章氏批判なんて書いている人がいたので、その批判の薄ペッタさを示すために、何度かこのブログに書いていたが、わかりやすくするために一つに統合しておいた。批判と言うにはこういう内容が必要だよということも示して。
古田武彦氏は評価していないが、正しいことを言っているなら認めるさ。自分の思い込みだけの文章は書かない。私のほうが公平なんだ。
古田氏の魏臺訪議に関する主張を覆せない限り、自動的に邪馬壱国説が成立してしまうのだが、そのことを認識していないのか? 都合が悪くて逃げているのか? 数十年経つのに未だに反論らしきものを見たことがない。
2020年9月17日木曜日
神功皇后の実在を支持する史料
「魏志倭人伝から見える日本、1,邪馬台国や邪馬壹国か」より
【晋書安帝紀…「この歳(義煕九年、413)、高句麗、倭国及び西南夷銅頭大師、並びて方物を献ず。」《方物=地方の産物》
以下の注が入れられています。
「御覧九八一、義煕起居注曰く。倭国は貂皮、人参等を献ず。詔して細笙、麝香を賜う。」
この記述自体は太平御覧(983)、巻981の「麝」の項に見られるものです。起居注とは天子の日常の出来事を記録した文書をいいます。
倭国が方物として、貂皮や人参等の朝鮮半島の産物を献上しました。そして、高句麗、広開土王碑には、「辛卯の年(391)、倭が海を渡り来て、百済、■■、新羅を破り、以って臣民となした」という記述がみられます。神功皇后が新羅、百済を属国にしたという記、紀の記述にぴったり結びつき、全てが真実であることを示しています。日、中、韓、三つの国の無関係な史料が同じ方向を指しているのです。東晋へ遣使した413年の少し以前に畿内へ進出し、神功皇后の政権が安定したと思われます。】
貂皮、人参という韓半島の産物を自国から出たものだと中国に届けている。百済、新羅を領有するに至ったというアピールであろう。
宋書倭国伝の倭王讃より十数年先立つ遣使である。倭王讃は上表しているから自身の名を書いただろう。讃の意味はほめる(古語は「ほむ」)であるから、ホムダワケという応神天皇の名に一致している。自らの名を表すのにふさわしい好字を選んだと考えられるのである。それに先立つ遣使なら、応神天皇の母、神功皇后の遣使と解するのが妥当ということになる。
こういうデータ間の整合性があって主張しているのに、読まない人間が多いようだ。理解を拒否しているのか?
翰苑の神功皇后に関する記述にも貼り付けておいた。
日本の古代史を研究しているのだから、解明のためにあらゆるデータを使う。「記、紀」を照らし合わせることで真実が見えてくる。中国史書のみで日本史の解明は不可能である。「記、紀」を捨てたら身動きできなくなるよ。古田武彦氏のように。
聖徳太子に関するもの以外、サイトに出しているレポートはすべて「弥生の興亡」を支える資料で、主張の根拠を明らかにしている。全部書き込むと読みづらくなってしまうのでね。
2020年9月13日日曜日
児童公園に雑草はびこる
近所の児童公園の砂地の平坦地に雑草がはびこってきた。市の職員らしき人がゴミ拾いしていたが、草抜きまではやらない様子。生まれて以来、暮らしている土地だが、公園が緑のまだらになる光景を見るのは初めてである。他の児童公園というのは思いつかないから、かなり離れているのだろう。近隣の子どもたちが集まってくる場所である。中で走り回っているから、さすがの雑草も生えられなかったのだと今さらながら気付かされた。コロナ肺炎による子どもたちの遊びの自粛もかなりのものだ。
「弥生の興亡」を公開してから二十年経った。検索エンジンに優遇されていると感じるし、けっこう読んでもらえているようだから成功と言えるのではないかな。
2020年9月12日土曜日
おでん
久しぶりに「おでん」を作った。子供の頃は「関東炊き」と言っていたのに、自分の中で、いつの間にか「おでん」に変わっている。標準語が負けてしまった。
カツオ出汁+昆布出汁に、しょう油、ミリン、料理酒、砂糖を加え、具材を入れてグツグツ煮る。味は合格だが、汁が薄汚く濁っている。二、三十代に通った飲み屋の「おでん」の汁は無色透明だった。それでいて味はしっかりついている。友人に指摘されるまで、そんなことは気にしたこともなかった。作り方を聞いておけばよかった。世間話をするような間柄になっていたから、多少は教えてくれたのではないか。色が付いていないということは、しょう油を使っていないはず。塩とか色々調整して作っていたのだろうな。ネットでググったら、汁を濁らせないようにするには下茹でをする必要があるとのこと。手間ひまかけなければいけないんだ。下茹ですることで栄養素が逃げてしまうような気もするし。今後、どうするか。旨ければ良いんだし……
ブログの背景画像を変更した。色々、遊べるようになっている。以前からそうだったのか?記憶がない。気分転換に時々やってみようと思った。
2020年7月19日日曜日
漢字の起源に「雷」を追加
2020年7月12日日曜日
ハエトリグモの巣
2020年7月8日水曜日
2020年6月21日日曜日
パソコンの起動高速化に成功
ハードディスクのWidows10をSDDにコピーするにあたって、EaseUSやAOMEIというフリーソフトを使ったのだが、何度も失敗を繰り返した。最後はAOMIでなんとかコピーに成功。起動ドライブにするにはマザーボードBIOSの呼び出しが必要なのだが、これも何度も練習させられた。いじっていれば解ってくるものだ。
せっかくOSをSDDに移したのに、最初の何回かの起動では、これまでと同じで五分くらいかかった。何も変わらんと首を傾げたし、がっかりもしていたが、しばらくしてから劇的に早くなった。メインパソコンに劣らない。そのあたり、OSの入ったハードディスクがつながったままとはいえ、指示通りに動かなかったのは謎である。パソコンになにか記憶が残っていたのであろうか。
コピーの際の、間違いの可能性を減らすため、ハードディスクのアプリやデータを削除した。これからそれをインストールしなおして快適に使えるようにするという作業が残っている。目下のところメインパソコンとデータの共有ができないのが悩みだ。メディア関係ならできるようだが、会社などで一番必要なのはドキュメントの共有であろうに。マイクロソフトの考えることがわからない。WinXP時代の方が簡単だった。
電源とSDD関係で20000円ほど使ったが、パソコンの安定化、起動の高速化に成功して、サブパソコンの寿命が五年ほど伸びただろう。CPUはインテルCore i7、2600の3.4メガヘルツである。もったいないくらい高機能だ。傷んだ中身を取り替えながら、全く別のパソコンになるかもしれない。Windowsが新しいものを買えと言ってくるかな。パソコンに付属していたOSなので、中身が全く違うとなると。そのあたりはマイクロソフトも抜かりがあるまい。
2020年6月15日月曜日
SDDをパソコンに認識させる
こっちもSDDだなと日本橋へ出かけて、パソコン工房でウェスタンデジタルの500GB、SATAコード、2.5→3.5インチマウンタを買い求めた。9218円だった。
3.5インチベイにSDDを装着し、電源、SATAコードも接続、ネジ止めやコード接続に手間取ったが、ここまでは頭を悩ませることなく作業が進む。
あとはソフト的な作業である。パソコンを起動。デバイスマネージャーを呼び出して、ディスクドライブをクリック。正体不明のドライブが現れるはずなのに、ネット情報と話が違うじゃないか。認識されているのはハードディスクのみ。ハードディスクが日立製なのは初めて知った。何で?何で?とBIOSを調べたら、ちゃんと認識されていた。製品の不良ではない。Windows10がSDDを認識してくれないのである。他社製品だったらどうなのか。安いやつを選んだからダメだったのか。ウェスタンデジタルはアメリカじゃないか。自国製品を認識しないとは、マイクロソフトに愛国心はないのかとか、考えたり罵ったりしても事態は動かない。ないもの扱いなんだから。
どうしようもないと諦めてパソコンをシャットダウンしようとしたとき、Windowsのアップデートをしたらどうかと思いついた。設定の更新とセキュリティを調べたら、更新待ちになっていたので、インストールする。長々と一時間くらいやっていたから、かなり根本的な更新だったのだろう。
終わってから、「期待するな、期待するな」と唱えながら、デバイスマネージャーを起動、ディスクドライブを調べる。「オー!! 」2つになっている。勝手に設定画面が現れた。手順を教えてくれるサイトで確認しながら設定を進めて、SDDをフォーマットする。これで完了。エクスプローラでも認識されてEドライブとして現れた。あとはWindow10をSDDにコピーし、こちらを起動ディスクにするという作業が待っている。
しかし、すんなり行ったことがないな。いや、すんなり行った時は記憶に残らないんだろう。
2020年6月10日水曜日
パソコン電源の交換
一応、予想の範囲内で、購入機種も決めてあった。AntecのNeoECO750 GOLDだ。ネットでずいぶん誉められていたけど、これがステルスマーケッティングなんかでないことを願う。
二日前の偵察活動を生かし、PCワンズで値段を見てから、パソコン工房へ行く。こちらが1000円ほど安かったので購入。税込みで9980円だった。
古い電源のネジを外して、あたらしいものを同じ位置に据えるだけの簡単な作業だが、コードの接続がややこしい。全部済ませて、「さあ!」と気合を入れてボタンを押しても何事も起こらない。不良品つかまされたかと心が乱れる。ネジを外し、取り出してもう一度チェックすると、宙に浮いた一本のコードがあった。こいつかとコネクタを接続し、再び電源をネジ止め。電源ボタンを押す。動き出した。
今日のところは無事使えた。これが続けば、不調の原因は電源と確定するが、まだ油断できない。部品すべての交換も視野に入っている。
2020年6月5日金曜日
2020年5月31日日曜日
Aimp の Milkdrop 問題、解決
それ以降、全く問題なく使えている。サウンドドライバの問題であった。Aimp をバージョンアップして最新版にするかどうか、迷っている。以前は使えていたけど。
しかし、こっちは何もやっていなかったんだぞ。快適に使えていたものが、いきなり使えなくなる。その解決法を自分で見つなくてはいけないとはハードルの高い道具だ。使用歴が長いから色々試みる勇気があるけれども。
解決できるだけ、マシな道具とも言えるのかな。
2020年5月21日木曜日
「aimp」から「winamp」へ移行
活動再開を伝えられていた「winamp」はどうなったかなとググってみれば、新バージョンの5.8が出ていた。さっそくダウンロードしてインストール。試してみたところ、問題はないもよう。こちらの耳はあんまり当てにできないが、音も良くなっている感じ。mikdropは元々winampのプラグインだから、こちらとの相性の方が良いのは当たり前である。
Windows7時代になって、人気No1ソフトだったwinampがまともに動かなくなり、開発も放棄された。代替ソフトを探してaimpに行き着いたのだった。今回も代替ソフトがあってよかった。
土台を勝手に替えられてしまうから、上に乗せるソフトの作成者も大変だな。
2020年5月9日土曜日
「中国朝鮮史から見える日本4」の記述を一部訂正
2020年4月27日月曜日
キーボードを替える
一番評価していた HELMES-E2 ずっと使ってないよ~。一度、接続すると付け替えるのが面倒になる。しばらくアプティバでいくだろう。
2020年3月4日水曜日
「倭国伝の変遷(魏志から旧唐書まで)」をUP
http://www.eonet.ne.jp/~temb/9/hensen/hensen.htm
魏志から旧唐書倭国伝まで、日本関係の記述がどのように変化していったかを追求。編纂者の思考が読み取れる。完璧とはいかなかったが、採用資料ごとに文字を色分けしてあるので、変化がわかりやすいと思う。
新型コロナ肺炎が世界的な流行になってきた。気は若くても爺さんだから、取り憑かれたら大変なことになるかもしれない。さりとて、こうじる対策があるわけでもなし。自分の幸運を祈るだけだけれど。みなさんもお気をつけて。
2020年1月18日土曜日
顎関節症
それまで関節まわりは盛んに押していたのだが、まったく効果がなかった。鼻近くの筋肉を押すのが一番効果的だった。歯を治療して顎の筋肉の動かし方が変わったのかもしれない。その疲れが細かな筋肉に出たということだろうか。無関係に思えることが肝だったりして、漢方医学というのはこういうことを追求しているのかな~と薄っすら感じる。まだ、動かし方によって関節が擦れることはあるが、度合いが小さいので、食べることに不安を感じなくなった。