2020年10月11日日曜日

魏臺で行われた論議を翻訳してレポートに追加

  通典巻八十三・礼四十三・凶五にある魏臺(魏の朝廷)での論議を翻訳して「邪馬壱国説を支持する史料と解説」の最後に加えておいた。論議の発端は明帝の詔である。

 「邪馬台(壱)国北九州説の研究」で、森浩一氏の「倭人伝を読み直す」を分析して書いている時、中国文献で使われている「死」と「以死」の例を調べ、「以死」は非業の死に使われるというレポートを出した人がいると知って、本当かどうか、三国志をあたったことがある。呉の孫権の死が「権以死」と書いてあって、別に非業の死ではないから、このレポートは間違っていると結論できた。その時、豪族たちの死が「薨」「卒」で表されていて、「死」という文字がほとんど無いと気づいた。

 通典を翻訳したのは、礼制により、身分ごとに死の表現法が細かく定められていたのが良くわかるからである。敬意を持てない場合に「死」が使われるのかもしれない。こちらは日本の古代史解明のために中国文献を調べるという立場だから、そんなに細かいところまで立ち入る気にはならない。いや、もう十分細かいところまで立ち入っているか。こんなに深入りするとは思わなかった。

 hyena-no-papa氏は「物故」の意味を尚書曹に説明する高堂隆の項しか紹介していないが、その場には明帝もいたのである。臺という文字を軽んじるわけにはいかないだろう。

 魏臺訪議に関しては、これで終わりかなと思う。

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