2021年3月28日日曜日

隋書倭国伝に書き下し文を入れる

  隋書倭国伝にも書き下し文を入れた。解説を読み返してみると、意味不明の文章がある。自分で書いたのに理解できない。何を考えていたのだろうか。削除。勘違いしていたこともあったので修正。

 魏志倭人伝、後漢書倭伝も見返して、一部修正。手を加えるたびに正確度は増しているはず。そう思いたい。

 Link 隋書俀(倭)国伝

2021年3月16日火曜日

後漢書倭伝(原文、和訳、解説)に書き下し文追加

  新たに書き下し文を追加した。わかりやすくなったか、こちらにはわからない。最初からやっておけば良かったかなとは思う。一部の文章修正。中身は変わらない。

Link 後漢書倭伝(原文、和訳、解説)

2021年3月8日月曜日

魏志倭人伝から見える日本2、狗邪韓国までの行程の解説に文章追加

  魏志倭人伝では、海岸沿いに航行することを「水行」と表現しています。帯方郡から倭へ向かえば、黄海を南下し、朝鮮半島西岸の馬韓を通過することになりますが、これを「歴韓国」と記しました。倭人伝の前にある魏志韓伝に「韓は帯方の南にあり。」と記されており、韓の方向はすでに明らかになっています。中国の文献は解りきったことを書きません。韓の方向も周知の事実なので省かれます。後に出てくる倭人伝の他の国の記述では、すべて、最初に方位が記されていますが、ここにないのは、そういう理由と思われます。そして、半島西南端の珍島付近で折れ曲がったその後、多島海と呼ばれる海を「乍南乍東*」、つまり、南へ向かったかと思うと、すぐさま東へ向かったりすると言っているわけで、西や北へは行っていません。全体として、ジグザグめまぐるしく方向転換しながら南東に進んだと思い込んでいるのです。実際の地形を見れば、北東に移動しているはずで、南北が入れ替わって方向の狂いがみられます。

太字にした部分を追加し、こちらの主張の理由、根拠をより明確した。

Link 魏志倭人伝から見える日本、2

2021年3月3日水曜日

国邑の訳

  魏志倭人伝にある「山島に依り、国邑をなす」という書き下し文を、そのまま和訳文にも書いていた。それ以上細かくする必要があるのかという気もあるが、国邑とは「首都的な集落」を指すと主張する人がいることを森浩一氏の「倭人伝を読みなおす」で知り、確かにそうだろうと思っていた。ずっと放置していたが、今日、布団の中で、「国家機能のある集落」と訳せばぴったりだと思いついたので訂正することにした。各国には官僚が置かれ統治組織が機能していて、伊都国にいる大率が検察している。

 「山島に身を寄せて、国家機能のある集落を作っている」というのが新訳である。

 寝ぼけていて頭の中に出てくるのだから油断できない。枕元にメモ帳とボールペンを用意しておくか。

Link 魏志倭人伝(原文、書き下し分、現代語訳)

Link 魏志倭人伝から見える日本、2