2021年5月21日金曜日

メカニカルキーボードのチャタリング問題、ほぼ解決

 ネットで2チャンネルのパソコン・ハードウェア、キーボードの話を読んでいて、チャタリングという文字に出会った。そういえば機器の過剰反応の意味だったはずとググったら、確かにその通りで、キーボードのチャタリングに関して、ソフト的に修正できると書いてあった。メカニカルキーボードに多いとのこと。うちのメカニカルキーボードにピッタリ当てはまる現象である。すぐさま、メカニカルキーボードを接続して調べてみた。確か、ウィンドウズのキーボードの設定で、反応速度の変更の項目があったはずと、コントロールパネルを呼び出してチェック。キーに対する反応が一番遅い設定になっていて驚く。何度かバーを動かして確認し、一番早い速度設定に落ち着いた。これで、メカニカルキーボードの、一度のタッチで複数文字が入力されてしまうというチャタリングが防止できた。ソフト的に防止可能だったのである。短気を起こして捨てなくてよかったと思う。

 こんなふうに、どうでも良いような話の中から、役に立つ情報を引き出せる可能性もある。2チャンネルもあんまり馬鹿にしたものではないな。今はHERMES/E2を使っており、しばらく続けるつもりだ。メカニカルキーボードはきれいに掃除して片づけておく。小さなことでも、うまくいったときは気分が好い。



2021年5月11日火曜日

臺、堆の音に関しての追加

 「邪馬壹国説(邪馬壱)を支持する資料と解説」に唐の李山甫の「牡丹」という詩を追加。都合よく、臺と堆が韻を踏んで共存している。共存している詩は少ないが、臺、堆が開や來と別個に韻を踏んでいる唐詩はいくつもある。

    「牡丹」 李山甫(生没年不詳)

      邀勒春風不早開  衆芳飄後上樓臺

      數苞仙豔火中出  一片異香天上來

      曉露精神妖欲動  暮煙情態恨成堆

      知君也解相輕薄  斜倚闌干首重廻

唐の願師古が、漢書の注で、半切という方法により文字の読みを示していて、堆はタイ音だとわかるし、韻書を調べると臺もタイ音だと明確にできた。だから後漢書の「邪馬臺」に「邪馬堆音の訛」というような注は必要ないのである。同じなんだから。「邪馬惟音の訛」が正しい。

上古音とか中古音とか区別していても、実際に聞いた人間はいない。今後も不可能である。現在の音と残された韻書や反切という文字の読み方から、推定するしかなく、昔の学者と方法は何も変わらないわけだ。

Link 邪馬壹国(邪馬壱)説を支持する資料と解説




2021年5月8日土曜日

臺と壹のバランス問題

邪馬壹と邪馬臺の問題で、壹と臺は画数と文字バランスの関係で間違えることは少ないのではないかと「魏志倭人伝から見える日本、1」に書いていたのだが、臺を簡略化した俗字があることを知り、「これは通らないわ」と削除。全体への影響はないけれど、面白くはない。

アプティバキーボードが汚れてきたので、HERMES/E2に変えた。一年ぶりである。やはり、キータッチが軽くて、こちらの方が指になじむ。テンキーがないのを忘れていた。不便かもしれないが、その分、小さいので、机の上での圧迫感は減った。マウスもいつもより少し高めの光学マウスを買って交換。古いボールマウスでしのいでいたが、ゴミ掃除が面倒になった。値段が高い分、性能もよい感じ。あんまりケチると駄目である。大した値段でもないのに。



2021年5月1日土曜日

書店の廃業を惜しむ

 中国原書類は京大近くにある中文出版社で手に入れていた。たまたま見ていた街歩きのテレビ番組でその存在を知った。本を買うと、何枚かの注文ハガキや書籍カタログをくれる。カタログを見て、注文ハガキに書名を書き、郵送してもらう。振込用紙と注文ハガキが入っていて、それで支払い、次に欲しくなった本もハガキで頼むという取引が続いていた。必要な書物はあらかた手に入れて、疎遠になっていたけれど、いつの間にか、ネットで注文できるシステムが作られていた。便利になったなと思ったが利用したことはない。最近になって、何か面白い書物はないかなとサイトを探したところ、見当たらなくなっていた。会社名と地図は出てくるのに、百万遍知恩寺の隣にあった場所とは異なる。移転したのかと気になっていた。

廃業か、移転か、確認するためにネット地図が示す場所へ行ってみた。道路の向い側、少し銀閣寺よりの京大の傍である。住宅が並んでいただけで、書店の存在した形跡はない。でたらめ地図であった。何か欲しい本が出てきたときに困る。二十年近く困らなかったのだから、今後も困らないかもしれないけれど、最後の拠り所という精神的な支えがなくなる。残念なことである。歳月というのはこういうことをしてくれる。

銀閣寺通りを西に行って、鴨川の橋を渡った河原町通り北に大きな古書店があり、時々、利用した。ここもどうなっているか見に行ったところ、姿を消していた。こちらが必要とするような専門的レベルの本を揃えるには、目利きの店主の存在が不可欠である。古書店の店主たちは、明らかに、こちらより年上であったから、さもあろうという気がする。

大阪の河童横丁の古書店街もよく利用した。久しぶりに行ってみたところ、紀伊国屋書店の隣に移転していた。こちらが利用していた古書店は、わずかに一店を残すのみ、店も狭くなり、置かれている本の数が少なくなっている。河童横丁にも失望である。

使える店がどんどん減ってゆく。皆無というレベルに近づいてきた。ネットでカバーできるであろうか。パラパラめくって「これ、欲しい」というケースがなくなってしまう。それが楽しいのに。