2017年10月27日金曜日

Notepad++

 昨日のドラフト会議。阪神は一位指名の清宮をクジで外し、外れ指名にも負け、三度目にようやくソフトバンクに勝って、ピッチャーの馬場を指名した。新人不作の年と言われて競合が多かったようだ。当たりか外れかは三、四年経ってみないとわからない。一塁しかできない清宮を指名してどうすると思っていたのに、いざ外れたとなると、何か敗北感が漂う。たぶん気分的なものだけだ。そう信じたい。

 ホームページのhtmlファイルの作成にエディターを使うことにして、もっと良いフリーソフトはないかと探したところ、Notepad++というのが見つかった。何年も放置された古いソフトより、今、勢いのあるソフトの方が良いに決まっている。オープンソースで開発されているプログラマー向けのテキストエディターと書いてあった。64ビット版もあったので、そちらをダウンロード。Emエディターは左端がガタガタになって見にくいのだが、このソフトは行頭がピッタリそろって非常に見やすい。UTF-8対応でShift-jis外の漢字表記にも問題がない。使い込んでみないと何とも言えないが、このソフトがメインになるだろうという予感がある。
 さっそくNotepad++を使って、漢書地理志燕地のレポート見直しに取りかかった。翻訳の間違いがいくつか見つかってがっかり。修正したやつをUPしようとしたが、サーバーが見つからないと表示された。27日の午前0時から5時までサーバーのメンテナンスでホームページにアクセスできないというメールが来ていたのを思い出した。

2017年10月26日木曜日

隋書倭国伝の一部修正、無料ソフト

 隋書倭国伝、地理志荊州・揚州を見直した。それぞれ修正とか解説の追加がある。特に隋書倭国伝の服装の記述に関し、ずいぶん勘違いしていたので大幅な訂正になった。

 スクラップソフトの「紙copi」がひと月経ったので金を払えと表示する。名前と登録番号を入れると黄色い「払え」が消えるのだが、再起動すると同じ事の繰り返しになる。「払ろたやんけー」と上品な私も柄が悪くなる。「何をさらしてけつかんねん」代わりに使える無料ソフトがあれば良いのに。ワード、一太郎もほとんど使わなくなって、今度、ホームページビルダーも使用しないと決めた。麻雀ソフトと二十年ほど前に買った辞書ソフトを除き、使用頻度の高いのは無料ソフトばかりだ。
 
 表計算 Libre office
 エディター Emエディター、Mery、真魚
 電卓 関数電卓kbc
 解凍 ALZip
 映像 VLC media player
 音楽 AIMP
 作画 Inkscape
 画像ビュアー Xnview
 地図ビュアー カシミール
 メモ・日記 wDiary
 ブラウザ GoogleClome Firefox Opera

 ソフトバンクはパソコンソフトを売っていた会社だったんだが。見切りを付けて見事な方向転換だ。こういう時代になるなんて予想できなかった。

2017年10月19日木曜日

レポートの一部修正

「諡号の秘密」、「邪馬台国九州説の研究」、補助資料集の「村屋神社」などを一部修正。内容的には変わらない。

 ホームページビルダーはダメだな。ジャストシステムにはがんばって欲しいのだが、編集画面でブラウザ画面と同じ絵を出してくれないと使えない。古いバージョンの方がましだ。バージョンアップのメールがしょちゅう届くけれど、高い金払ってこれでは、新たに買う気になれない。エディターを使うことにした。マイクロソフトのホームページ作成ソフトが無料化されているので、ダウンロードした。使えるかどうかはわからないけれど。

2017年10月15日日曜日

「歴史秘話ヒストリア」聖徳太子の実在

 NHKの「歴史秘話ヒストリア」で聖徳太子のことをやっていた。どうせ、「聖徳太子は実在しない」なんて類いの売らんかな本に基づいた編集をしているんだろうと期待もせずに見たのだが、案外まともで最後まで見られた。
 大王(オオキミ)だったのに、都合が悪くて日本書紀が太子に改変してしまったが、こういう偉大な指導者は実在したのである。「伊予国風土記逸文(釈日本紀巻十四)、道後温泉碑」には、法王大王と書いてある。「法隆寺金堂釈迦仏光背銘文」には法皇である。「上宮聖徳法皇帝説」という文献もある。おそらく聖徳法皇が本来の諡号ではなかったか。
 上記二つの、年代も場所も離れた無関係な資料には、法興六年、法興元世一年という年号が記されている。法興は三十年までで、翌年、法興元世と改元されたようなのである。その法興元世二年に聖徳太子が亡くなってしまった。太子の死後、年号は廃止されてしまったらしい。他のどの資料も伝えていない年号が存在して、これを無関係にねつ造するのは無理である。後世、消されてしまった年号は引っ張り出せない。それだけでも、二つの資料は聖徳太子時代のものだと認められる。番組では「法隆寺金堂釈迦仏光背銘文」を紹介していたが、最初に書いてある年号に関しては説明がつかなかったらしくすっとばした。干支が書いてあり法興元世一年は推古29年(621)である。だから太子が亡くなったのは622年で干支は壬午になる。621年とする日本書紀とは一年のずれがあるが、天寿国繍帳や聖徳太子伝私記の記す法起寺塔露盤銘も622年としており、日本書紀の方が疑わしい。
 専門家が実験した結果、この光背銘文は後から彫ったものではなく、制作時の鋳型に作られていた可能性が高いことがわかり、仏像と同年代、日本最古の金石文であることが確実になったという。
 聖徳太子の棺の断片ではないかという遺物も紹介されていたが、これに関して論評する力はない。絹と漆を何層にも重ねて作られた超高級品であることは理解できた。
 光背銘文には、王の尺寸に合わせて釈迦像を造ると記されており、聖徳太子は175~180cmくらいの長身と推定できるという指摘もあった。銘文は読んでいるのだが、そういうことには頭が及ばなかった。救世観音にもそういうことが伝えられていて、顔的にはこちらの方が実像に近いのではないか。仏像の形式離れした顔をしている。

「法隆寺金堂釈迦仏光背名文」は下記ホームページで紹介している。関連資料として「隋書倭国伝」もリンクしておく。

天皇号の成立と聖徳太子、推古天皇(聖徳太子は大王だった)
http://www.eonet.ne.jp/~temb/14/tennougou.htm

隋書倭国伝
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/zuisyo/zuisyo_wa.htm

2017年10月13日金曜日

「朝鮮紀行」 イザベラ・バード

 イザベラ・バードの「朝鮮紀行」を読む。「トリルを効かせ声を震わせて鳴く鳥のさえずりがまるでなく、カササギのおしゃべりと飛び立っていくツグミの騒がしさが、その魅惑的なコンサートのお粗末ながら代わりである。」、「城内でトラやヒョウが撃てると自慢できる首都はたしかにソウルをおいてはめったにない!」、「ヒョウはたしかに多くいて、ときにはソウル城内でもしとめられている。」、「トラが執拗に住民をさらいつづけたため、最近無人になってしまった村がある。」、「トラに対する恐怖はあまりに広く浸透し、中国のことわざが『朝鮮人は歳の半分トラを狩り、後の半分はトラが朝鮮人を狩る。』と請け合うほどである。」というような記述がみつかった。明治中期においてさえ、猛獣と隣接して住んでいる危険な土地だったらしい。

 魏志倭人伝の「牛、馬、トラ、ヒョウ、羊、カササギ無し。」という記述が際だってくる。帯方郡使もトラやヒョウに神経を尖らせて暮らしていたのである。

「ピンクのトキと斑点のある緑のカエル(トノサマガエルか?)はどこにでもいっぱいいる。」と書いてあるから、朝鮮のトキも日本と同じ道をたどったらしい。

2017年10月12日木曜日

キーボードを変える

 気分転換にキーボードを変えようとしたのだが、一番古いアプティバのキーボードを受け付けてくれなかった。ランプは点くのだがキーに対する反応は全くなし。Windows95用だから規格が変わっているのかもしれない。PS2ポートが付いていれば使えると思っていたのに、そうではなかった。古い規格はどんどん捨てられていくから、OSが対応していないのか。パソコンに付属していたキーボードに戻ってしまった。安っぽいが、案外使いやすいかもしれない。キーが平べったくて気に入らなかったけど、ノートパソコンから入った人は、こちらの方が自然なのだろう。
 ロジクールのPS2キーボードはどうかと思って付けてみたら、使えるではないか。アプティバがダメなのか。先ほど終了したとき、Windowsの更新があったが、それでドライバが入ったのだろうか。そうではないように思うけれど。
 もう一度アプティバキーボードを付けてみる。おー!認識した。これで手持ちのキーボードは全部使えることがわかった。二十年以上前のキーボードだ。まだまだ使えそう。