2016年11月17日木曜日

カムイ、ビッキ

 イザベラ・バードはアイヌに外人が訪れたことのない彼らの神社へ案内されたが、明らかに日本式神社で、そこには義経が祭られていたという。その由来はもう誰も知らなかったようだが、御伽草子に、義経が蝦夷へ渡った「御曹司島渡」という話があるから、義経ファンの倭人がそんな話を伝え、神社を作り、神として祭らせたのだろう。明治初期に神社の祠やわずかながらの木の階段が存在していたのだから、それは江戸時代のことと思える。

「アイヌの宗教的概念ほど、漠然として、まとまりのないものはないであろう。丘の上の神社は日本風の建築で、義経を祀ったものであるが、これを除けば彼らには神社もないし僧侶もいなければ犠牲を捧げることもなく礼拝することもない。明らかに彼らの宗教的儀式は、大昔から伝統的に最も素朴で最も原始的な形態の自然崇拝である。」

「彼らの神々は―すなわち彼らの宗教の具体的な象徴は、神道の御幣に甚だ類似したものであるが、―皮を剥いた白木の杖や柱で、頂部近くまで削ってあり、そこから削りかけが白い巻毛のように垂れ下がっている。」(「日本奥地紀行」イザベラ・バード、高梨健吉訳、平凡社)

 アイヌは奈良時代から倭人と接触しており、遣唐使が唐へ連れて行った記録があるし(斉明紀)、コロポックルという小人の先住民がアイヌに入れ墨や漁の方法を教えたという伝承がある。奈良時代以前から民間的な接触があったかもしれない。倭人の御幣が神の依代としてアイヌの中に入った可能性もある。

 日本語の「神(カミ)」の語源はアイヌ語の「カムイ」だという人がいるが、逆ではないか。神(カミ)は天上にいるから上(カミ)なのであろうし、頭の上にある毛も髪(カミ)である。反対語として下(シモ)がある。アイヌ語のカムイにこのような類語があるだろうか。アイヌの研究に関して、古代倭人文化や倭人語の影響がまったく想定されていないように思える。こちらが知らないだけなのだろうか?

ビッキ
「ビッキ」とはアイヌ語でカエルのことだという。しかし、カエルを意味するビッキ類似の言葉には全国的な広がりがある。これも倭語がアイヌ語に入った可能性の方が強い。倭名抄は蟾蜍に和名比岐(ヒキ)と書いている。これは今もヒキガエルと呼ばれている。本草綱目啓蒙(小野蘭山著)にはヒキダ、ヒツキ、ヒキゴ、ヒキゴト、クツヒキ、ワクヒキ、オンビキ、トンヒキ、オホヒキなどの諸国方言が見られる。トノサマガエルをアヲヒキと呼んだり、ヒキはどのカエルにも用いられるようだ。

「蛙」碓井益男著(法政大学出版局)には、「気を以って小蟲を引き寄せて食へば名とすと云う。(大言海)」「蟾蜍は気を以て物を惹く。(甲子夜話)」「此物は、物をにらみて引きよする物ゆゑにいふ名也。にらみて引は常の事也。物をへだてても引くもの也。(老子餘喘)」等の文章が紹介されている。

 目の前の虫を狙っているなとヒキガエルを観察していたら、虫がいきなりヒキガエルの口の中に飛び込んでくる。蛙の舌の動きは人間の目には捕らえられない。この不思議にこういう形で決着をつけ自らを納得させたのである、この説が百パーセントの支持を受けているわけではないが、蛙の餌取りを目にすることなどめずらしくもなかっただろうから、全国的な賛同を得て言葉として残る可能性は感じる。アイヌ語のビッキにこういう関連語があるのだろうか。

 本草綱目啓蒙は、ヒキはヒイキ(贔屓)に由来するのだという説も紹介している。中国などで石碑の台座として重さを支えている亀が贔屓だった。それからの転用で脚をふんばって重みを支えた姿をしている蛙もヒキと呼ぶようになったというのである。しかし、この教養が全国的、庶民レベルに浸透するようには見えないし、カエルを亀と同一視しないだろう。

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