2024年1月24日水曜日

魏志倭人伝から見える日本5、魏志倭人伝の補足「4、狗奴国と紀の国」にデータ追加

紀伊国続風土記から、貴志川町国主(紀の川市)の大国主神社が有力社であったことを示す以下のデータを追加 

紀伊続風土記、那賀郡・貴志荘・国主村には「昔は六十六ヶ国より種々の備物を以て当社の祭事に供へしに因りて其国々の国司より備物の料として此地にて方一里の地を神田と定め大贄の料とせり今土地の字に越中芝。尾張田、阿波小路、土佐畑、美濃田、因幡などという国号を以て田地の字に呼ひ来たれるは其の遺称なりといふ」と記されています。

国主の南方にある高津もコウヅだと書いていたのに、江戸時代はタカスだったとわかり削除。以前、応其(オウゴ)という地名がコウゴの訛だろうと書いていたのに、応其という坊主の名前に由来するとわかって削除したことがある。紛らわしい名前を付けやがって迷惑な坊主だ。補強資料追加はうれしいが、修正、削除はうれしくない。

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