2021年3月8日月曜日

魏志倭人伝から見える日本2、狗邪韓国までの行程の解説に文章追加

  魏志倭人伝では、海岸沿いに航行することを「水行」と表現しています。帯方郡から倭へ向かえば、黄海を南下し、朝鮮半島西岸の馬韓を通過することになりますが、これを「歴韓国」と記しました。倭人伝の前にある魏志韓伝に「韓は帯方の南にあり。」と記されており、韓の方向はすでに明らかになっています。中国の文献は解りきったことを書きません。韓の方向も周知の事実なので省かれます。後に出てくる倭人伝の他の国の記述では、すべて、最初に方位が記されていますが、ここにないのは、そういう理由と思われます。そして、半島西南端の珍島付近で折れ曲がったその後、多島海と呼ばれる海を「乍南乍東*」、つまり、南へ向かったかと思うと、すぐさま東へ向かったりすると言っているわけで、西や北へは行っていません。全体として、ジグザグめまぐるしく方向転換しながら南東に進んだと思い込んでいるのです。実際の地形を見れば、北東に移動しているはずで、南北が入れ替わって方向の狂いがみられます。

太字にした部分を追加し、こちらの主張の理由、根拠をより明確した。

Link 魏志倭人伝から見える日本、2

3 件のコメント:

  1. 魏志倭人伝の翻訳と、解説は大変良いと思いまして、読ませて頂きました。当方は73才になりまして、今まで思っていたことを「歴史小説」にしまして、インターネットに発表し、機会を見て本にする予定です。
    しかしながら、素人ですので、勘違いなど有れば、それを訂正しないといけないのですが、してくれる人がいません。貴方の「魏志倭人伝」を引用していますので、厚かましいのですが、見て頂くわけにはいきませんか。また、貴方の文章を使うなと言うことであれば、削除しますので、どうぞ宜しく、お願い申し上げます。

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  2. 申し訳ないが、こちらも時間との競争があります。まだ全体の三分の一くらいしか進んでおりません。他人のことに係っている余裕はありません。
    引用ということでしたら、こういうサイトの、こういうレポートから引用したということを、後書きにでも明記しておけば問題なんじゃないですか。私に関してはそれでOKです。

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  3. お便り有り難うございました。では、引用した部分に「その旨」明記することにします。とりあえず、ご連絡まで。

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