2025年12月17日水曜日

エゴサーチしてグーグルAIを呼び出す

 グーグル検索にAIという項目が現れるようになったので、マイクロソフトのCopilotの時と同じようにエゴサーチして、AIを呼び出してみた。塚田敬章氏はこんなことを主張していますと出してくるが、「こちらのサイトのどこにそんな記述がある」と喚きたくなるのはCopilotと同じ。AIもCopilotも、ネットに現れているデータを検索、抽出したごちゃまぜを私の主張としてまとめているだけである。それが正しい引用かどうかなんてお構いなしなので、レベルの低いまとめを作るだけという評価は同じ。すべてにわたって多数派におもねる形になるだろうなと思う。

本人であると断って、そんなことは書いたことがないと告げたら、「古代史の会」に書き込まれた投稿から採用したと返してきた。私の名を騙って虚偽を投稿している人間がいるということか。自己顕示なら自分の名を書かなければ意味がないし、意図がわからない。愉快犯か?同姓同名は可能性が低いし、さらにマイナーな古代史研究というフィルターをかければ0に近くなるだろう。AIの言っていることが本当かどうかもわからないし。今まで、よそのサイトに投稿したことはないし、今後もないだろう。見かけた人がいたら、偽物だと思っていただきたい。

ともかく、訂正を要求したので、今、検索するとデタラメは全て抹消されて簡単な紹介になっていた。デタラメ書かれるくらいなら、わかりませんで白紙の方が良い。レポートには賛成、反対いろいろあるだろうけど、これは私個人に関する嘘だから。

2025年12月16日火曜日

「…という」という言葉

 修正やらデータの追加、削除の必要があって、なんども「魏志倭人伝から見える日本」を読み返さなければならないのだが、「…という」形の文章が非常に多い。「…という記述がある」とか。自分にとっては便利で使いやすい言葉であるらしく、書き癖のようになっている。読んでいる人は気にならないだろうが、何度も読み返している身には、目障りになって、修正したくなってくる。文章の拙さのあらわれであることは間違いないからだ。そういうわけで、ここのところ文章の修正に取り組んでいた。全てを追放するというほど神経質でもない。目障りなほど使っているところを、別の言葉で表現するという形だ。

ようやくそれが終了した。25年も前から公開しているんだけどね。遅まき過ぎるだろう。