ネットニュースで次の文を見つけた。
「近年発表された古代人のDNA解析の成果により、古墳時代の人びとの25%は朝鮮半島からの移住者であることが明らかになり、歴史教科書で学んだ「渡来人」をとりまくイメージは一変しています。これは、日本の文化の成り立ちにも関わってくるトピックです。」
「弥生の興亡」を公開してから25年になるが、世間がようやく私に追いついてきたようだ。自分の主張を裏付けるデータが、次々、出てくるのは気分が良い。日本人は、半分、中国人みたいなもんだと言っているのだから、気分を害する人もいるだろう。顔を見ればわかるだろうに。認める勇気があるかどうか、というだけである。
吉野ケ里遺跡の発見が大騒ぎされていた頃、私は氏族が系統別に分離できるかもしれないと考えていた。吉野ケ里遺跡なんて大騒ぎするほどのことでもないと目にもくれなかった。のちに「新撰姓氏録(氏族系統別)」の公開となって結実したが、最後まで迷ったのは藤原氏だった。姫姓の巴人が来ている可能性を捨てきれなかったのである。それも元の国に戻る浦島伝説と別れた妻を追って日本に来る天日矛の記述から、秦氏は呉系楚人、堂谿氏を祖先とする一族であると結論できたし、藤原氏は秦大津父を祖先とするという分析もできて、ようやく藤原氏は呉系楚人、秦氏、スクナビコナ神、狗奴国の一族であるとわかった。仁徳記の富木の大木の話との結びつきから藤原氏は狗奴国の臣、コウチヒコを祖先とすることまで明らかになる。
のちに中国の史書、「性解」の風俗通逸文として、扶余氏が呉王闔廬の弟、夫概を祖先とする記述を見つけて、呉系楚人の朝鮮半島への移住を裏付けられた。
正しければ、データが勝手にくっついてきて補強される。歴史の大きな流れが見えてくる。今昔物語や日本霊異記などの説話や民族学的伝承までが説明可能になる。そこからフィードバックされて、さらに歴史のもつれがほどけてくる。ずっとそういう形が続いているから、基本的に「弥生の興亡」、私の主張は正しいはずである。間違っていれば、行き詰って動けなくなったり、反証が現れて否定されてしまうだろう。