「邪馬壹国説(邪馬壱)を支持する資料と解説」に唐の李山甫の「牡丹」という詩を追加。都合よく、臺と堆が韻を踏んで共存している。共存している詩は少ないが、臺、堆が開や來と別個に韻を踏んでいる唐詩はいくつもある。
「牡丹」 李山甫(生没年不詳)
邀勒春風不早開 衆芳飄後上樓臺
數苞仙豔火中出 一片異香天上來
曉露精神妖欲動 暮煙情態恨成堆
知君也解相輕薄 斜倚闌干首重廻
唐の願師古が、漢書の注で、半切という方法により文字の読みを示していて、堆はタイ音だとわかるし、韻書を調べると臺もタイ音だと明確にできた。だから後漢書の「邪馬臺」に「邪馬堆音の訛」というような注は必要ないのである。同じなんだから。「邪馬惟音の訛」が正しい。
上古音とか中古音とか区別していても、実際に聞いた人間はいない。今後も不可能である。現在の音と残された韻書や反切という文字の読み方から、推定するしかなく、昔の学者と方法は何も変わらないわけだ。
Link 邪馬壹国(邪馬壱)説を支持する資料と解説
0 件のコメント:
コメントを投稿